森のカフェで考えたこと

20代の頃に思ったことは、「私は成長しているか」と自問したとき、ノーだった。それは幼い頃の自分と比べてむしろ退化していると思えたのである。幼い頃の私は世界をそのまま丸ごと受け入れていたにも拘らず、20代の私は社会の中でひどく窮屈だった。

その後、編集の仕事に入り、ほとんどの時間は仕事に費やしていたから、自分の成長についてあまり考えることもなくなった。

そして今、どのように考えているかといえば、それまでの私は自分がどうしたいか、そのためにはどちらへ進めばいいか、というように常に選択肢があったと思う。

だが、最近の私にはその選択肢がない。ないというより意識しなくなっている。自分で選ぶことをあえてしないようにしているからだ。つまり受動態で生きるようにしている。もっといえば流されて生きている。

そうなるといいことばかりではない。あれ、どうしてこうなったのということもあるが、それについてあまり悪くは考えない。というのも、そうなったきっかけがあるからだ。

数年前、理不尽な出来事があった。ある人に頼まれて懸命に動いて実現したのに私だけが外され、しかも仕上がった仕事はひどかった。その理不尽な意味が理解できなかったのだが、そのことをある人にふと話したら、上とチャネリングしてその答えを教えてくれた。私のためにある方が私をその仕事から外したというのだ。「私のため?」そのときわかったのは、世界にはそんなふうに私を守ってくれている存在がいるのだということだった。そして「ありがたい」と心底思った。

そして、この限られた小さな世界で起きていることの真の意味は本当はわからないのだということがわかった。

そして昨年、私はそれまで関わっていたセミナーの仕事をやめ、本づくりに専念しようと考えていた。ところが、ある人が自分のセミナーをやらないかと言った。いろいろ考えた末、本づくりの傍、セミナー企画もすることにした。半年先まで会場を取り、ホームページも作った。

ところが、年が明けて、そのセミナーは中止になった。その人の気が変わったからだ。私にとってそれもまた理不尽な出来事だったが、されど何がいいのか悪いのかわからない。ただ、こういう流れだけが残った。私には理解できないそれもまた、私を見守ってくれているものの意思なんだろうと受け入れている。

今日は久しぶりに家の近くの森に面したカフェでお茶をしている。

初夏の香りを放つ森に面した窓辺で、温かいミルクティーをいただきながら、この半年のことを振り返っている。起きることはすべていいこだとと捉えている、最近の自分に気づきながら。

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リエゾン概要

代表 新谷直恵

出版社勤務を経て、編集会社リエゾンを設立。
2010年からフリーの編集者として仕事をしてきましたが、
2017年12月に[リエゾン、]として活動を再開。
本作りは主に聞き書きを中心にしながら、出版企画にも携わります。
また本作りを中心にしながら、著者のお話し会やセミナーを開催していきます。