吟遊詩人・茶喜利さんのハナウタとは
2018年04月27日
茶喜利さんはみずからを吟遊音楽家と称されています。
そもそも吟遊とは何なのでしょう。
吟遊詩人とは一般的に中世ヨーロッパで、独自の歌を歌いながら各地を遍歴した人と言われています。
どうも自らそうなろうとしてもなれるものではないようです。まず歌が湧き上がってこなければなりません。そしておもむくまま旅を続けています。
先日、私は「ザ:フナイ」6月号で茶喜利さんをインタビューさせていただいたのですが、いろいろお話をうかがう中で、茶喜利さんこそまさに吟遊詩人だと思いました。導かれ、導かれて、今ここで歌っているからです。その不思議な話に私は彼の奏でる音と歌に深く納得したのでした。
ここでは2つのストーリーを紹介しましょう。まず彼は20歳でインドに行った際、空港を出たところで強盗に身包みはがされ1週間拉致監禁されました。命の危険を感じた時に魂が外に飛び出し、相手の心が読めるようになって無事脱走できたそうです。ところが何かのスイッチが入ったまま帰国するのですが、非常事態がまったくない日本ではそのエネルギーの持って行き場がなく、仕方なく自分を追い詰める「即興」の世界に入ります。
そして24歳で訪れた西安で、ある一人の聖人と出会いました。その人は貧しい物乞いの姿で歌いながら歩いていました。絶対に物をあげてはいけない、歌を聴いてもいけない、と周囲の人々は彼に言いました。ところがその人が近づいてくると、そのありがたい歌に耳はそば立つし、魂を鷲掴みにされて、茶喜利さんは振り向かざるを得ませんでした。そして振り向いた瞬間、その人は光に包まれていたそうです。彼はその場にひれ伏して号泣しました。そして自分の持っているありだけのものをその人に差し出したいと、急いでホテルに帰って戻ってくると、その人の姿はありませんでした。
それからです。その人を思うたびに歌が溢れ出てくるようになり、茶喜利さんはハナウタを歌う人になりました。「鳥さん、今ですよ」と歌えば、鳥は歌い出します。花は咲くのです。それからご神木や祠などに歌を奉納して歩くのですが、あるご神木に言われたそうです。
「私たちはもういいから、周りの人たちに分けてあげて」と。
それまで気づかなかったのですが、そばにいる人たちからも歌が聞こえていました。それからはご神事のように、目の前の人の歌を歌うようになりました。それを「マザーノート」としてセッションされています。その人の本当の花が開くように、その人自身の歌を歌われているのです。
私も早速、桜吹雪の舞う誕生日に、そのマザーノートを受けました。それは本当に不思議な体験でした。深い瞑想状態の中にいると彼は彼の背中と私の背中を合わせて、私の歌を歌ってくれました。歌は背中から流れているそうです。生まれ、出会い、別れ、そしてまた生まれる、それ自体が愛であり、愛とはそれ以外ではないことをずっと歌ってくれ、私はいつしかそれを深いところで了解していました。そして私の仕事である綴り方についても、一期一会の愛であることを教えてくれました。
今、迷っている人、分岐点にきている人、もっと自分を愛したい人、もっと自由に動きたい人、いろんな人にこのマザーノートを受けて欲しいと心から思いました。